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「あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。」
こちらは先ほどhttp://tabi-labo.com/さんがシェアしていたヘミングウェイの言葉。
どこにいても、「今やるべきこと」を必要な時に行える人は
きっと旅そのものが素晴らしいものへとなって行くのだと思う。
どんな時にでもぶつかる「壁」はあるかもしれない。
そのときその壁を突き破るかどうか。やるもやらざるも自分次第だ。
時に遠回りすることも必要な選択の一つになり得るだろう。
自分自身の選択は自ずと先のライフへ結果となって結びついてくる。
そういう意味では「旅」には多くのチャンス、困難と幸せが詰まってる。
すべてのプロセスを楽しめることができるなら、「旅」は成功だ。
ひとつ書き忘れたことがある。
「旅」は小説や音楽のように節がある。
例えば今回は南米、次節はアフリカ大陸と言ったように。
旅とは言ってもどこかに旅行に行くだけがそうでもなくて、今日1日新しい時間を過ごすことが
すでに旅とも言える。
さらに大きな目線で考えると、それらは最終的に一つの本にまとまるのだ。
それが僕自身、そしてあなた自身の「ライフ」。
どこにいても、なにをしていても結局は自分の本を作れるのは自分でしかない。
僕自身、そしてあなたの旅が素晴らしいものになりますように
見慣れてしまった景色。
先天性の飽き症な自分にとって、これほどまでに退屈な物は無いと決めつけていた。
だから旅を愛したのかもしれない。
深い瞑想に入ったつい先日のこと、いつもと同じ景色なのに
全く別の場所にいる様な気がした。
同じ体、ソウルを持った自身のはずなのに、その時の心境によってキャッチする感覚、目線、
得た情報から沸き出す思考が全く違う。
諸行無常だった。
すべての物事は移り変わり続け、永久不変の物は存在しない。
この脳が作り出す思考もまた同じ様に移り変わり続ける。
毎日横になるベッドでさえも、昨日とはどこかが変わっているのだ。
今いるこの家も、昨日とは違う。
見慣れてしまって飽き飽きしていたこの場所が、今日はとても心地がよかった。
ありふれたこの景色、毎日見慣れた人、今からもう一度見てみようと思う。
様々な立場、可能な限りあらゆる角度から。
これまで自分が作り上げた頭の中の価値感を一度ぶち壊せるとしたら、
このライフはもっと面白くなるだろう。
それを写真に収めよう。
花ってすごいなー。
蜜を蜂が吸ってとか、花粉を雌しべが受粉してとか
もしその愛の粉を運ぶミツバチがこの世からいなくなったら、人間は生きて行けないと聞いた。
それを言うならおれだって、このライフ、花に何度も助けてもらった。
走ったり、ゆっくり歩いて呼吸を整えたりして
一歩づつ進んで行こうと思う。
あのひとに言いそびれたことは無いかな?とか、考えながら
今自分自身が出来ることのベストを、今日この日にすべて出し切って終わらせよう。
ありがたく次の日を迎えられたなら、昨日の何が正解だったかなんてどうでもいい。
もう一日もらえるなら
昨日より少しはうまくいけるだろう。
先日、道ばたに咲いていた一輪の花を摘んで
ミツバチたちにはわるいことをしてしまった。
あまりにもきれいだから、大切な人に渡したくなったんだ。
その花のおかげであの人が笑ってくれた。
ほんの一瞬だけ。
お花さん、自己中心的で申し訳ない。
でも、あそこに咲いていてくれてありがとう。
嫉妬や不安、物事が思い通りに進まないときに生まれるイライラ。
いろんな感情が押さえ込んで見えなくなってしまった心の奥底にあるもの。
それが今になってようやく見えるようになった。
やっぱりそこにあったんだ。
おれは本当にわがままで、自己中心的でどうしようもないやつだった。
大分遅れを取ってしまったけど、生きている間に気づかせてもらえたことは幸いだとおもう。
ずっとこういう写真を撮りたかったんだよ本当は。。
大好きなフォトグラファー、藤代 冥砂さんが撮った奥さんの写真。
仕事としてじゃなく、ただ生きているうちに愛する人の美しい姿を写真に残したい。
自分にしか見せてくれないあの表情を写真に収めたい。
安けりゃ安いほど良い。というその日暮らし
辛いことから逃げ、今を生きないつけ。
明日やろう。という後回し。
自分だけは大丈夫。という誤信
すべてが重なり、いつしかそのしわは目に見えるばかりか、我々人間にとって生存の脅威となるほどに
大きな波となって押し寄せる。
州都ホバートから船で2日間の航海の先に辿りつくことができる
圧倒的自然の宝庫、西タスマニア。
富士の樹海が何十個以上も続く広大の面積の山々が続くこの大地は
保護区のため、人は住んでいない。
見渡す限り電線も家も、道路もない。
そんな沿岸にはプラスティックのゴミが多く打ち上げられている。
これらを延べ10日間に渡って拾い上げながら、「この世からプラスティックがなくなる術」を真剣に考えた。
もちろん答えなんてみつからない。
いや、むしろ答えはありすぎる。
しかし今のこの社会のシステムにうまく当てはまる選択肢というのが、あまりにも少ない。
なぜならかく言う私自身もこのプラスティックの消費者なのだ。
細かくくだけ散ったプラスティックを目の届く範囲で徹底的に拾い上げた。
おそらく沿岸沿いですらこの状況、海中・海底の様子はもっと深刻だろう。
細かい話はまたある媒体にて掲載頂くとして、一つ気になるサイトのシェアをFBの友人を通じてみたので
ここで上げさせてもらいたいと思います。
どうしようもないリアルな現実。
「 100円ショップでの安物買いが、人生を破綻させる5つの理由 」
http://www.bllackz.com/2012/08/100.html?m=1
そういえば、今は亡き母もこういっていた。
「安物買いの銭失い」
銭を失うばかりか、自らのライフさえも危険にさらしている原因のひとつが、
「安物買いの銭失い」、つまり自分自身の行動だったとは、、、
プラスティックはいずれ、ゴミとなり、無知な人、悪徳なゴミ処理業者、風雨の影響によって
自然界に運ばれたそれは数千年にも及んで動植物の生態系に悪影響を与え続けます。
※ビーチに打ち上げられたゴミはほんの氷山の一角に過ぎず、自然界に及ぶ影響は計り知れない。
今自分ができること、そしてやらざること。その積み重ねが間違いなく未来を作る。
逆に言えば未来は今の積み重ねだろう。
バタフライ効果というものをご存知だろうか。
(もし初めて耳にするなら、ググると良いかもしれない。)
※例えれば、ここにこうして目に見える形で打ち上げられたゴミは(もちろん不慮の事故の影響もあるだろうが)
かつて私たちがバタフライの羽、一振りほどの意識で道ばたにポイ捨てしてしまったものの途中形態でもある。
今(未来)の先には愛する子や、子孫たちが密接に関係し存在し続けるだろう。
サーフィンを通じて海と接することで、自然がなければ我々人間のライフもないということを改めて学んだ。
一時的になら自己中心的に、とても曖昧な「自由」に酔い浸ることはできるが、
すべての連鎖からは決して逃れることはできない。
自然界の掟はいたって、シンプルだ。
すべての生命が幸せであるために、個々が最善に美しくあって欲しいと願います。
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